「幸福の持参者」(加能作次郎)

これが家庭の原点だと思うのです

「幸福の持参者」(加能作次郎)
(「日本文学100年の名作第2巻」)
 新潮文庫

家計を堅実にやりくりしている
妻の楽しみは虫の声を聴くこと。
彼女は迷いながらもある日、
草花屋から一匹の
蟋蟀(こおろぎ)を買ってくる。
夫も喜び、
一疋の小さな虫は、
思いがけない平和と幸福を
家にもたらした。
ところが…。

一億総中流と呼ばれるはるか以前の、
大正から昭和にかけての、誰しもが
貧しくつつましい生活を送っていた
日本の風景が描かれています。
残暑が厳しい初秋の夜。
エアコンもない時代に
涼を求めるとすれば、
このような方法しか
なかったのでしょう。

たった一匹の蟋蟀を
買ってくるにしても、
余計な出費となることを心配し、
幾度となく逡巡する妻。
意を決して買う段になっても、
松虫・鈴虫などの高価なものではなく、
素朴な鳴き声の蟋蟀を選ぶ妻。
それも少しでも声の美しいものをと、
比べようもない中で
一疋を選んで買う妻。
散々物色した後、
「まあ試しに…」と店員にも自分にも
言い訳してしまう妻。
微笑ましいかぎりです。

妻の心遣いを受け止めて、
一緒になって蟋蟀を愛でる夫。
「前には窈窕(ようちょう)たる
美人を眺め、…」と
妻を持ち上げる夫。
夫も立派です。

戦争の足音もまだ聞こえず、
大衆が生き生きと
生活できていた大正・昭和初期。
その時期のささやかな庶民の団らんが
しっかりと描かれています。
これが家庭の原点だと思うのです。

こうした蟋蟀のような風物が、
戦争によって破壊され、
戦後いつしかTVに置き換わり、
さらには現代では
個別のネット機器が
取って代わってしまったのでは
ないでしょうか。
人々がモノに執着する以前の、
心の豊かさを実感できていた、
古き良き時代なのでしょう。
私は生まれていなかったので
断言はできませんが。
日本の帝国主義や
高度経済成長が
奪い去ったものの姿が、
本作品には確かに現れています。

本作品には「オチ」があり、
初めのうちもてはやされた蟋蟀も、
4日、5日と経つうちに、
その鳴き声がやがて気になりだし、
ついには…、という始末です。
ささやかな幸せすら、
なかなか手に入らないという、
少し悲しい結末ですが、
それでもほのぼのとした
明るさに包まれた作品であることには
変わりありません。

まだ美しかった日本人の姿を、
美しい日本語で綴った本作品。
加能作次郎の真骨頂を
味わうことができます。

※加能作次郎の作品は、
 文庫本では昨日紹介の
 講談社文芸文庫版しか
 存在しませんが、そこには
 本作品は収録されていません。
 その意味でも
 本書の存在は貴重です。

(2020.2.27)

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